こうでありたい!

平成9年式フリーターのつぶやき

小中高と12ヵ年皆勤だった僕が心がけていた事とその理由

こんばんは、こうちゃんです。

 

僕は小中高と12年間一日も学校を休みませんでした

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12ヵ年皆勤ってやつです。

 

小学校の6年間皆勤とか、中高の皆勤とかは結構いるけれど、
小中高とブッ通しで皆勤したヤツはなかなかいないと思います。

 

12年って声に出して言えば一瞬だけど、実際はものすごく長いよね。
心も体も成長している真っ最中ですから、小中高って。

 

なので、僕が12ヵ年皆勤した秘訣と、皆勤しようと思った理由について話していこうと思います。

 

今現在学生の子、同じく皆勤だった人、学校になかなか行けない子、全ての人に向けて書いていきます。

 

 

小学校6ヵ年皆勤は周りの人のおかげ

最初の6年間は、主に母親の支えが大きい。
というのも、僕は子供の頃あまり朝に強くはありませんでした。
でも、母が毎朝必ず起こしてくれたので、まず起きることはクリア

 

そして、食事です。
母は看護師をしているおかげもあってか、栄養バランスを考えて毎日食事を作ってくれました
病院から疲れて帰ってきても、必ず食事を作ってくれました。
食事を疎かにしなかったので、体調を大きく崩すこともなく過ごせました

 

また、母親以外では仲の良い友達がいた事も理由の一つです。
そこまで友達が多い子ではなかったけれど、親友と呼べる子が居て、毎日学校に行くのが楽しくて仕方がありませんでした


一部の子からいじめを受けていたこともあったけど、親友のおかげで学校は嫌になりませんでした。
授業はクソガキだったのでちゃんと受けてはいなかったけれど、授業後になると友達とグラウンドへ行って走り回っていました。
そのおかげで活発だったのもあり、上の理由と合わせて風邪を引くことも少なかったです。

 

そして、好きな子の存在です。
小学校3年生、初恋をしました。
結局その恋は叶うことはなかったけれど、その子に会うのが嬉しくて毎日学校に行っていました。恋は立派な原動力です。例えそれが小学生の子供であっても。

 

 

中学校3ヵ年皆勤は気合と根性

そして中学生になりました。
中学生の僕は割と気合と根性でなんとかしていた気がします

 

吹奏楽に夢中になりました
毎日部活に行くのが楽しくて、たくさん練習をしました。
2年生からは部長も務めたので、責任感もあり休むことはありませんでした。
たまに体調が悪い時もあったけれど、気合で学校に行った覚えがあります。

 

小学校とは全然違って厳しいし、遊ぶこともできなかったけれど、
楽しいことを見つけてそれに没頭することで、体調の悪さを吹き飛ばしていました。
今思えばよくできたなって思うけれど、あれは確かに気合と根性でした。

 

 

高校の3ヵ年皆勤は自分との闘い

中学を卒業し、9ヵ年皆勤です。
義務教育も終わったので、もうここからの皆勤はぶっちゃけ自己満足の世界です。
「ここまで皆勤したしまぁ最後まで学校に行っておくか」みたいな感じでした。

 

高校生になって、初めて挫折を経験しました。
楽器の腕前が下手なことに気づいたり、気合と根性が通用しなくなったり、
大人になる上で大切なことかもしれないけれど、当時の僕には相当辛かったです。
あれだけ好きだった楽器が吹きたくなくなったりして、涙を流すことも多かった


小中を割と思い通りに進んできただけあって、初めての挫折は本当に辛かった

自分と向き合うのが怖かった。
自分と向き合うということは、自分が何も出来ない人間ってのを認めるようなものだったから。
自分の実力が中学生までしか通用しないことを認めなければいけなかったから

 

学校に行くことが辛くて仕方がない時もありました。
それでもなぜか、一日も休むことはありませんでした

 

それはなぜか、僕は学校を休んでも何も変わらないなって思ったからです。
僕は人といるのが好きなので、学校を休んで一人で家でじっとしていても何の解決にも繋がらないなって思いました。
たぶん僕が学校を休んでいたら、どんどん現実から逃げていくだけだったと思います。

 

友達や先生の支えもあって、自分を見つめ直すことができました。
挫折は辛かったけれど、ハッタリで世の中に出るよりかはいいかなって。
自分の出来なさを自分で知ることによって、そこからスタートすることができました

 

そうして気がついたら、12ヵ年皆勤をしていました

 

 

12ヵ年皆勤をした3つの要因

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こうして見てみると、僕が12ヵ年皆勤できたのには3つの要因があります。

 

1つ目は、周りの環境に恵まれていたこと
母がしっかり面倒を見てくれたり、良い友達がいたり、休まずに学校に行けたのは周りの環境に恵まれていたからだと思います。

 

2つ目は、自分が最後まで諦めなかったこと
12年もあれば、辛い日もありました。
休もうと思えば簡単に休めました。でも、休まなかった。
これくらいなら僕はなんともない、とか本当に考えていました。
そして実際行ってみると、なんとか乗り越えられるものでした。

 

そして3つ目は、です。
皆勤は運です。
確かに上2つのおかげで皆勤することはできたけれど、
もっと辛い風邪とかになっていたかもしれないし、なんなら事故を起こして入院になっていたかもしれないし、受験の出願の予定上やむを得ず欠席するかもしれないし、
そう考えると、自分や周りのおかげでもあったけれど、
運の要素も強いと思います。

 

 

なので、そこまで皆勤を誇っていない。

誇っていないというと、語弊があるかもしれません。
実際、12ヵ年皆勤したこととかは友達の間で話題にはなるし、
僕も嬉しそうに言う時はあります。

 

だけど、僕一人で皆勤したわけじゃない。
確かに皆勤賞をもらったのは、僕という一人の人間だけど、
その一人の人間が皆勤賞をもらうために、周りの大きな影響が間違いなくあった
そして、運もよかった

 

だから、学校にいけない子は自分を責めちゃダメだ。

元気に学校へ行けるならそんなにいいことはないかもしれないけれど、
学校に行けないからダメだなんて事は絶対にない

今まで書いてきたように、僕はたまたまいろんな要因が重なって皆勤できただけであって、ちょっとでも違っていれば僕も普通に休んでいた。

 

だから、皆勤なんて別に大したことじゃないんだ。

今、色々な理由があって学校にいけない子が大勢いる。
それぞれの理由があって、それぞれの思いがあって、悩んで学校に行けないんだと思う。
だけど、学校に行けてない自分を、周りと同じような生活を送れない自分をどうか責めないで。

 

 

そして、一人で悩まないで欲しい。

友達がいないかもしれない、先生や大人は信用できないかもしれない、
だけど、君のことを思ってくれる人は絶対にいる。
今はまだわからなくても、いつか絶対に現れる。
なんなら僕がどれだけでも話を聞いてあげる。
一人で悩まないで、そして自分を責めないで。

 

 

皆勤賞なんてものがあるから、学校に行かないことを悪だと考えてしまう。

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ある学校のクラスが、全員で皆勤を目標にしました。
中には辛い子もいたけれど、クラスに合わせて無理に来ていました。
そして体調を崩した子は、点滴を打って泣きながら学校に来ました
それって何の意味があるんでしょう。学校に来たからって偉いの?
同調圧力で休めない子を生んで何になるのでしょうか。

 

世の中には病気で体が不自由な人や、心を病んでいたりして学校に行くことが苦手な、難しい人がいます。

誰にでも得意なことや苦手なことがあるように、
学校に行くことが苦手な人もいます。
でもそれで、その人がダメだとはなりませんよね。

 

学校に行くことが苦手だっただけで、何も悪いことじゃないです。

20歳くらいまでは人生の多くが学生なので、どうしても学校という社会の中だけで自分の価値観を考えがちです

 

だけど、長い人生を見れば学生の期間なんて短い。
その学校に行けなかっただけで、自分は悪い子になんてならない。

 

大切なのは、自分で自分を認めてあげることです。
学校に行くことが苦手だっただけ、得意な事は他にもあるよ。

 

12ヵ年皆勤をした僕だからこそ、学校に来れない子に伝えたい。
あなたの価値は学校の中だけじゃないよ、だから自分を責めないでね。

 

 

それではっ