こうでありたい!

平成9年式フリーターのつぶやき

やっぱり文章は良いなあって思う

f:id:KouTchan_Z:20200321022000j:plain

こんばんは、こうちゃんです。

 

こんな時間ですが(深夜2時前)、文章って良いなあって思った事があったので書きます。

 

それは、友人のインスタグラムの投稿。

 

僕は今22歳なので、現役で大学に入学した同級生はちょうど卒業です。
同級生が卒業なんて本当に日々は早いなあと思うわけです。

 

そんなわけで、僕のインスタのタイムラインにはちょくちょく卒業の投稿が並ぶわけです。

 

袴を着ている写真、思い出の場所の写真、4年間住んだアパートの写真。

 

あっという間の日々だったとは思いますが、その中にもひとりひとりの四年間の思い出が詰まっているんだなあとしみじみ思っていました。

 

そんな中、文章とともに大学卒業を知らせる子が。
僕はふとその子の文章を読んで、やっぱり文章って良いなあって思ったのです。

 

人の書いた文を読むのが好き

 

僕は昔から文章を書くのが好きで、だからこそこうしてのんびりブログを書いているわけですが、なかなか人の文章を読む機会ってないんですよね。

 

ブロガーの方ならともかく、なかなか普通の人、ましてや友人の書いた文章を読む機会なんて学生時代の作文とか、そういう機会しかなかったので結構新鮮な気持ちです。

 

僕がたまたま目にしたその文章には、その子の4年間の思い、生き様、そしてこれからのこと、大学生活を通して成長した自分の姿が書かれていました。

 

僕はその文章がとても好きになりました。

 

高校時代に数回しか話したことのない友人だけれど、なんだか大学生活を少し見れた気がして、その子のこの4年間の思いが少し見れた気がして、とても良い文章だなって思いました。

 

純粋で、すうっと入ってくるその言葉に、僕は改めて文章の素晴らしさを感じることができました。

 

その人の文章を読むと、まるでその人がそこにいるかのように感じ、とてもあたたかい気持ちになります。

 

例えば、好きな人からもらった手紙を読み返して嬉しくなる時。

 

きっとその時そこにはその人がいるんだと思います。

 

文章の力は偉大で、図り知れず、とてつもない奥深さを秘めています。

 

もちろん、僕は大した文章も書けないし、ただただ好きというだけです。
それでも、好きだから書いているし、好きだから読みたくなります。

 

文章はその時その時を刻んでくれる

 

サボりながらもなんやかんや3年書いているこのブログ。
 ときたま思い出して昔の記事を読み返してみたりします。

 

www.koutchan.com

 

例えばこの記事は、当時の僕の死生観について書かれていて、そういえばあの時はそんなことを思っていたなあって感じることができます。

 

この時書いていなければ思い返すこともなかっただろうし、その思いを誰かに伝えることもなかった。

 

僕が書いた文章だから、そこにはその時の僕が生きているわけで、それはもちろん他の人の文章でも同じ。

 

その人が生きたその時を刻む文章。
それはきっと、その人の命と同じような価値がある気がします。

 

なんだかよくわかんなくなってきちゃったので、この辺にします笑

 

言葉にしてみようと思ったけど、やっぱりなんだかうまく言葉にできなくて。
それはきっと僕の力不足でもあるし、言葉にできないパワーがあるのだと思います。

 

だけど、僕は、文章が好き。
そして久しぶりにいいなあって思える文章に出会えた。

 

いろんなことを感じながら、これからものんびり文章を書いていきたいなあって思ったこうちゃんでした。

 

おわりっ