こんばんは!こうちゃんです。
令和元年9月15日 居酒屋いちごうがオープンしました
いやあめでたい。
今日は少し語ります。
始まりはアツい二人の男から
遡ること一年前。
去年の9月15日。
写真右側のイケメンな男が、写真左側の僕のいとこに声をかけました。
「一緒に居酒屋を開こう」
と。
僕のいとこは熱くなり、一年後の9月15日に居酒屋を開くことを決意しました。
そこから一年後、二人は本当に居酒屋をオープンしました。
いやあ、めでたい。
僕が居酒屋オープンの話を聞いたのは去年の12月。
僕がまだうつ病がひどくてほとんど動けない時期でした。
ある日いとこから、時間があったら少し会いたいとのLINEが。
僕は少し体が動く日を見て、いとこの家に行きました。
部屋で居酒屋を開くと伝えてきたいとこの目はアツかった。
コイツはマジだ。
これはきっとワクワクする日々が始まるなあと、うつ病の僕に希望が見えました。
いとこと親友が開く居酒屋。自分が手伝えることは何でもやりたいと思いました。
6月。お店の場所が決まる。
月日は流れ今年の6月。ついにお店の場所が決まりました。
初めて店内に入った時、ワクワクしました。
三ヶ月後、ここでいとこたちの店がオープンする。
この三ヶ月、いろんなことがあったような気がしますが、僕には一瞬に感じました。
それはとても忙しく、けれどもとても楽しく充実した日々でした。
お店のロゴです。
いとこと親友が何百回という回数を重ねて書いたものです。
とてもアツい思いが伝わってきますね。
看板も二人の手作りです。
長い時間をかけて手彫りで完成させました。
お店の外壁を塗装したりもしました。
すべてが手作業。ここにもこだわりが伝わってきます。
5000枚刷ったチラシをみんなでポスティングしたりもしました。
クソ疲れた。
前日、というか何なら当日の朝まで様々な準備が行われました。
この数ヶ月で飲んだレッドブルの本数と吸ったタバコの本数は、人生を期間で区切ったら間違いなく1位。
何度も朝を迎えたことがありました。おはよう日本。
当日の朝は三人で地元の稲荷神社にお参りに。
僕は商売繁盛のお守りをプレゼントしました。
15日の朝は、びっくりするほど晴天で、オープンに相応しい朝でした。
あまりの清々しさとオープンの実感に、僕は少し涙ぐみました。
稲荷から帰ったら最後の支度をしました。
オープンの30分前まで支度をしていたと思います。
15時にオープン式が始まり、無事オープンとなりました!
当日の夜お店で頂いたお酒は、びっくりするほど体に染み渡りました。
※訳 疲れもあってすぐ酔いました
いとこと親友の長い一年間
こうして無事居酒屋いちごうがオープンしたわけですが、オープンに至るまでの1年間は二人にとって本当に大変な日々だったと思います。
最初は何から初めて良いかわからず、喫茶店やファミレスで二人でメモを片手に一つずつ決めていったらしいです。
オープンが近づくにつれてやることも多くなって、何度もくたばっている二人を見てきました。
きっと僕が見ていた以外に、もっともっと多くの大変なことが起きただろうし、大きな壁にぶち当たってきたのだと思います。
それでも二人で乗り越えてきて、オープンまで来たのだと思います。
そこには二人の熱い思いがあったから、絶対にオープンを実現させるという思いがあったからこそ、二人は最後まで来たのだと思います。
そして、そんな二人のアツい思いに、多くの人が動かされました。
僕はもちろんのこと、多くの知り合いや友人がオープン前のお店に足を運び、たくさんの協力をしてくれました。
それだけ二人はアツい思いがありました。
あの二人なら協力しよう。できることをしよう。
そう、多くの人が思いました。
蒲郡という小さな田舎町で起きた、一年間の一つの物語。
それは日本全体で見れば本当に小さな事かもしれませんが、
どこよりも熱く、どこよりもエネルギッシュな物語です。
僕自身、二人には本当に感謝しています。
二人のアツい思いに、僕も心を動かされました。
居酒屋の話を聞いた時、僕はまだうつ病がひどくなかなか動けませんでした。
そんな僕が今では、ほぼ元通りの生活を送ることができています。
もちろん、様々な方々の協力があったおかげで、僕は今こうして元気で過ごすことができているわけですが、その中には二人の協力も大きいです。
人は人に助けられる。本当に、そうですね。
人を殺すのも人ですが、助けるのも人です。
僕も二人に負けないよう、アツい男になっていきたいですね。
居酒屋いちごう、オープンおめでとうございます。
多くの人に愛されるお店になるよう、心から願っています。
今回は好き勝手に語らせていただきました。
お店の詳細やしっかりとした紹介はまたさせていただきます。
ホームページももうすぐ出来上がるので、その時にまた記事にしますね。
それではっ