喫茶店が大好き、こうちゃんです。
喫茶店、それは憩いの場所であり、自分を見つめ直す場所でもある。
本を読むのも良いし、外をぼーっと見つめるのも良いし、仕事をするのも良いし、誰かと語り合うのも良い。
そんな様々な場を提供してくれる喫茶店が僕は大好きです。
そして僕はそんな喫茶店でタバコを吸うのが大好きでした。
タバコ吸える喫茶店無くなったよなあ
2017年12月。大学入試直前。
早朝のコンビニバイトを終えた僕は、近所のコメダに行きモーニングを食べてから受験勉強をしていました。
毎日コメダに行くと、だんだんと同じ顔がいることに気がついて、「あそこの席で競艇新聞見てるじいちゃん毎日いるなあ」と思っていました。
もしかしたら向こうも「あそこの席で勉強してる若造毎日いるなあ」と思っていたかもしれません。
2018年4月。大学入学後。
空きコマに大学横の喫茶店に行って、ブログを書いたり、レポートを書いたりしていました。
隣のテーブルに座ってる女性は、いつも灰皿がパンパンになるほど吸っていました。
あの女性は今どこにいるのでしょうか。
2018年6月。うつ病診断直後。
大学に行くことが出来ない僕は、コメダに行って本を読んだりしていました。
つい半年前まではここで勉強してたなあなんて考えながら。
タバコを吸いながらチャートを解く受験生は今思うとなかなかシュールですが、そんな時期もあったなあなんてしみじみと思います。
あれから数年、気がつけば基本的に飲食店でタバコを吸うことが無くなりました。
しかし、それは仕方のないことだと思います。
これだけタバコの健康被害が問題になっている現代、どう考えても喫煙することにメリットはありません。
しかもその害が吸ってない人にまで及ぶとなったら、受動喫煙を避けるのは当然のこと。
だから、今考えると当たり前のように飲食店でタバコが吸えた一昔前のほうが異常ではあると思います。
喫茶店が禁煙になったのは当然のことだし、時代の流れなのです。
だから僕は、そんな今の時代に異議を唱えようとは思いませんし、それでその店にいかなくなるということもありません。
ただ、そんな時代もあったなあなんて、時々思いながら過ごしていくのです。
ノルタルジックな思い出として、僕の中で生きていくのです。
時代は変わり、流れてゆく。
しかしそんな現代でも、僕は時々タバコを吸える喫茶店に出会うことがあります。
大学から少し離れた所にある喫茶店は、店内全面喫煙可能店でした。
建物的にも旧くからある感じのお店で、お客さんの殆ども常連客といった様子でした。
(題名:荒くれソクラテス)
大学のテスト期間中にたまたま寄った栄のコメダも全面喫煙可能店でした。
今どき珍しいなあなんて思いながらも、久しぶりに喫茶店で吸えるタバコはやっぱり良かったです。
なんかコメダでタバコ吸うこの感じ懐かしいなあって、また僕のノスタルジーが思い出されるのでした。
時代は代わり、当たり前だったことも、当たり前じゃなくなる。
しかし時々、そんな当たり前だった時代を思い出し、懐かしく思うのが人間。
そしてそんな「懐かしさ」に、心を動かされてしまうのが人間なのです。
灰皿が無くなったコメダで本を読みながら、ふとそんなことを考えたのでした。
それではっ